初めましてCOCOです。
初投稿何を書こうか悩み、最初からがシンプルだと思い妊娠中のころから始めることにしました。
プロフィールにも少し書いていますが、ひな君は13トリソミーです。
そう診断されるまでまったく知りませんでした。
13トリソミーについてはネットで検索して頂ければすぐにわかると思います。
私もネットでだいたい読みました。そしてその時1番頭に残ったのは1年も生きることができないだろうという事と重い障害があることでした。
そして無事産まれたとしても、今までの生活ができなくなるということを悟りました。
兆候、そして転院
もともと行っていた産婦人科での検診でいつも頭が小さい。あんまり大きくなっていない。心臓が。頭が…etc
毎回毎回不安にされて、この子は大丈夫なのか?頭がってこの段階で脳のことがわかるのは普通じゃないってこと?もう少し妊婦の私に励ます言葉はないのだろうか?そんな風に思っていました。しかしまだこの時は楽観的に考えていました。まぁ大丈夫だろうと。
そしてとうとう26週目(6か月)に大学病院へ行った方がいいと思う。でもまだもう少し週数がたたないとわからないし次の検診で決めましょう。と言われてしまいすごくショックでした。
こういったことは早く行ったほうが良いのでは?と思いながら、何もないことを信じていたくて次回に先延ばしにした結果コロナに感染。。。😭😿
コロナの待機期間が終わってすぐに産婦人科へ。この時点で29週(8ヶ月)になっていました。(たまたまその時診てもらった先生はいつもと違う先生でした。後から知りましたがすごく優秀な先生だったようです。)
ひな君をみてすぐに顔が変わったのがわかりました。脳や心臓に異常がありそう。口唇口蓋裂もあるし、こうなるとほかの病気もあるかもしれないから早く適切なところで診てもらったほうがいい。もう少し早めに行ったほうがよかったかもしれないね。
・・・先延ばしにしてしまったことを深く後悔しました。
先生みずから大学病院に連絡して時間外にも関わらず予約までしてくれました。いつもの先生より迅速に対応してくれていました。最初からこの先生に診てもらっていたら何か変わったのかな?と自問しながらいろんな思いがこみ上げて涙を止めることができませんでした。
COCO:「脳に異常があるということは普通じゃないということですか?」
先生:『普通とはどういうことを言っていますか?しょうがいがあるか無いかということを言っている?』ちょっと語気が強めでした。
COCO:「普通の保育園に行って小学校にあがってと健常者の子と同じように生活できることです。」
先生:『・・・それは難しいかもしれないね。でも、その子にはその子の合った生活をすることが普通になっていく。今は不安だと思うけど、まだわからないんだからお母さんが元気でいないと。きっと大丈夫。しっかりね』
と、こんな感じのことを言われ励ましてくれましたが、その時の私はその言葉を受けいれられるほどの余裕はありませんでした。
宣告
転院した先で言われたことは、さらに私を苦しめました。
・小脳虫部形成障害。脳室拡大・癒合⇒前全脳包症の疑いがある。
・両側口唇口蓋裂。
・心疾患の疑い。胃胞が小さい。腎臓の輝度が高い。
・子宮内胎児発育不全。
・これらの症状から13トリソミーである可能性が高い。
・子宮内胎児死亡リスク、分娩時胎児機能不全や死産の可能性が高い。
・1年生存率は5~13%くらいで、生存期間中央値は海外の統計上は1週間程度。
・生後に先天性疾患、消化管疾患が判明することもある。
・積極的な治療を希望した場合でも経過は様々
→複数の手術を受ける可能性がある。
→在宅移行のためには医療デバイス(胃管、在宅人工呼吸器、在宅酸素など)が必要になることが多い。
それを踏まえて、このまま出産できた場合に蘇生をするかどうか。13トリソミーの場合予後がよくないのもありどうするかお父さんお母さんの意思を確認させてほしい。(※2022年の段階ではです。今は制度が変わっているかもしれないです。)
蘇生をしない。そういう決断をするご家族もいます。そして気管挿管後に外してほしいと言ってもそれはできないです。なので今すぐに決めてほしいわけではないけれど、産まれるまでに決めて下さい。
医者からそんなことを言われるとは思わず、、、私にひな君の生死を決めろと?たくさん障害があるから生きていちゃいけないと言われているようですごく悲しくなりました。そんな言い方をしてなかったかもしれないですが、私にはそう言われているように聞こえていました。
失意からの決意
私が、ひな君が何をしたっていうのか。どうしてこんな辛い思いをしないといけないのか。なぜ私たちなのか。。。。ひなくんの生きる意味とは?
この時の私は、自分のことしか考えることができていませんでした。。。😿
どこにぶつけたらいいのかわからない怒りと恐怖と悲しみと。子供達にはなんて説明しよう。親や親戚、友達には?今まで出来ていたことが何もできなくなってしまう。
そしてこの時私の姉も第3子妊娠中で同じくらいの時期に出産予定でした。それもあってかものすごく嫉妬し私ばっかりどうしてこんなに不幸なのかと。全てを憎まざるを得ませんでした。
完全に心を閉ざしてしまいました。
仕事もできなくなりました。友達や、親兄弟・親戚との連絡もほとんどしなくなりました。
長女・次女だけがこころを癒せる場所でした。
お腹も全然大きくならず、保育園で妊婦のお母さんと比べては悲しくなり、街で見かける妊婦さんにすら嫉妬していました。
死んだように生きていましたが、このままじゃいけないことはわかっていました。誰とも関わらず生きていくには、長女・次女のママ友関係や仕事の人、学生時代の友達、そして親やきょうだいとずっと疎遠は難しかったです。嫌でも交流はいるし。家族は心配してくれていましたが、それが重荷でいやでした。が、今後絶対助けがいることになるのにそれを失くしてしまうことはすごくリスクが高いと思っていました。。←本当に自分勝手なんですが⤵️⤵️
ボーっとしては涙を流す日々を繰り返すこと1ヶ月くらい。。。
時間が解決してくれるとはこのことで、もともと楽観主義だったのもあって気持ちも少し落ち着いてきました。
少しずつひな君のことを近しい友達や保育園の先生に話したりして、今の状態を知ってもらいました。
みんな優しくて、すごく気遣ってくれました。
ありがたい。それがしんどい時もあるけれど、うれしい時もある。
嫌なことから逃げていたらその時受けることが出来た大事なものも逃げていくものなのかも。
でもそれを受け入れられるのは時間がいることで、心を閉ざしていた時間も私には必要な時間でした。もったいなかったと思えたら、それは心が少し強くなった証拠なんだと思います。
そんな中でもひな君はお腹の中で生きていて、胎動もしっかりあり元気でした。
ひな君は生きている!!!
ひな君の生死を私が決めることなんてできない!生きようとしているのであれば助けてあげないと!生きてりゃ何とかなるんだから、それだったらひな君が生きている間幸せだったと思える人生にしてあげたい。
ひな君の生きる意味なんて私が考えることではなかったんだと思いました。すごくおこがましいし、それは親のエゴであると気づきました。
先生に自信をもって伝えました。
蘇生をお願いします!
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